幸せって終わって初めて気付く?
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【目次】
こんにちは。マイティです。今日もみんなと幸せはなにか探っていきたいと思います。
【1、「幸せって?」インタビュー】
今回は幸せについて、敬愛すべき後輩の笠川にインタビュー。
彼は出自が色々が同じというレアな後輩。今は海外で働いている。
本当に笠川は自分の心躍る選択しかしない。こっちがビビるくらい。
そんな素敵な彼に今回記念すべき第一回のインタビューを依頼した。(笠川のプロフィールはこちら)
張り切って用意して、いざZoomに入ると…話が止まらずアイスブレーク1時間。
「じゃあ、そろそろ…笠川が人生で一番幸せだった時間教えて笑」
「そうですね笑。選ぶの難しいんですが、高校の学園祭ですかね」
文字にすると軽さが出てしまうが、割と悩みながらの答えだった。
彼は学園祭のトップだったのだが、その幸せな思い出として挙げたのは、当時のプライベートの不安と相いれない仲間の存在だった。
「期日までにやってきてと頼んだものを全然やってくれなかった」
「学園祭を担う責任が伝わらず、もう本番までに見捨ててしまったんですよ」
「それでいざ本番になって彼らがスベっているときに、見かねた先輩たちが助けてくれて、僕も一緒になってサポートしてなんとか場を壊さずに終えられました」
「学園祭中は色々あってとうとうフィナーレ。その時に花束をくれたのは見捨てたはずの仲間と、頼ることのできなかった先輩たちだったんです。泣いてしまいました」
笠川の涙のワケは、
学園祭をトップとしてやり終えた達成感、
先輩に認められた喜び
そして
様々な困難、
もっと先輩や周りに頼ればよかったという後悔
だったという。
「人生で一番幸せだったのはこの時ですね。学園祭自体は失敗したと思っています。自分一人ではできないこともあるんだと気付きました」
【2、芽生えた疑問】
笠川のエピソードで一つ疑問が湧く。
Q. 達成感はあっても、失敗した苦しい経験がなぜ一番の幸せだったか。
僕なりに考えた答えは、
「なにが苦しいかに気付いて、新しい一歩を踏み出せたから」
ということだ。
元から幸せであればその幸せには気付かないことが多い。失って初めて気付く幸せというやつだ。
最近で言えば、世間は友達と会うこと・人と直接話す大切さを再認識しているらしい。
苦しい経験をすることで、今までの自分の考え方が否定される。
一歩踏み出して、新しい考え方に出会って、
楽になったり楽しくなったりして鈴木は幸せを感じたんじゃないかなぁ。
【3、幸せのヒント】
しかし、苦しいつらい経験を自分から選ぶのは難しいし、経験しなくてもいい苦しい経験なんていっぱいある。
じゃあ笠川の話にある「幸せのヒント」は何だろう。2つ見つけてみた。
3-①自分はこれだけ頑張ったぞ、って言える体験をすること
3-②その体験に「振り返りタイム」を作ること
3-①
「自分はこれだけ頑張ったぞ、って言える体験をすること」がなぜ幸せに?
これだけ頑張ったぞ、って言わなきゃなのは
「べ、別に本気出してねーから幸せじゃなかっただけだし」
っていう言い訳を自分にさせないため。
学生の頃、テスト前に「全然勉強してねーよ、やっべ」って僕は言ってたけど(みんなの周りにもいたと信じたい)
これは今思えば、悪い点数をとっても当然である言い訳を事前にしていた。
言い訳してしまうと、
①勉強すれば点数あがるのか、
②しても上がらんのか
わからん。
幸せもきっと一緒で、
①それを頑張ったら幸せになれるのか
②自分に向いていない幸せジャンルのことをやっちゃってるのか
わからなくなっちゃう。
3-②
「その体験に「振り返りタイム」を作ること」がなぜ幸せに?
これは「振り返りタイムをとらないとその体験が当たり前になっちゃう」ため。
またコロナの話だけど、「友達と気軽に会える日常」が自分にとってどれだけ幸せかは、
「振り返りタイム」がないとわからない。
「案外、一人でステイホーム悪くねぇな」も
「一人でステイホーム死ぬほどストレス」も
コロナによる「振り返りタイム」がなかったら
「友達を気軽に会える日常」は
「ただの当たり前の日常のひとつ」だったはず。
親元を離れて家族の大事さを知ったとか、
槇原いわく、ヤカンを火にかけたけど紅茶のありかがわからない♪とか、
区切りがあって初めて、その体験の価値が他の体験の価値と比較できる。
【まとめ】
みなさんお気づきだろうか。
前回まとめた6つ用意した質問の1つしか聞けていないことに…
(前回記事「みんなの幸せな時間」)
ということで全くうまくいかなかったけどインタビュー楽しかったー!
人の幸せって感じ方は本当にそれぞれね。
これからも読んで頂いている皆様に少しでも幸せのヒントを配っていければと思います。
最後まで、ありがとうございます。